信濃毎日新聞に連載 第13回 ケータイの落とし穴−いま子どもたちの世界は

信濃毎日新聞毎週月曜日に連載
第13回 ケータイの落とし穴−いま子どもたちの世界は

画面の小ささの危険性
下田 博次    
 
メディア教育の視点必要
 インターネットに接続できる携帯電話の登場は、ビジネスマンに一種のそのモバイル・コンピューターとして歓迎された。
 とはいえ、それは大人の世界の話で、未成年の社会的責任能力の無い子供にとっての携帯電話とは、別の話である。これまで述べてきたように、子供たちにとって携帯電話は決して生産的なメディアではない。そのことは子供たち自身も自覚していて「学習、勉強に役立つメディアではない。それどころか危険で、高価なおもちゃとして魅力を持ったメディア」、認めてもいる。
 それだけに、このメディアの使い方次第では社会的な問題を生み出すことも、薄々ながら理解しはじめた。また最近は大人達も、現実に起きる事件から、子供たちの携帯電話利用問題を解決しなければいけないと考えるようになってきた。しかしまだに問題の根本解決への糸口が見えない。どうすればよいのか。
 私の考えでは、まず大人や親が子供達の携帯電話を「メディア教育という観点」からあらためて眺め直すことが必要だと思う。つまり良くも悪くも強力な力を持つメディアを、自分の為になるように使いこなす能力を子供たちにつけさせる教育である。そのためにはケータイというメディアを、大人がもっと深く理解する必要がある。
 たとえばケイタイの小ささである。小さいから便利だという反面、その画面の小ささが問題という認識が無い。ケイタイ画面は、基本的に他の人と情報を共有することができないのだ。モバイルの利便性からすれば、画面が小さい方が良い。しかし子供たちの利用では、それが問題となる。
 この画面の小さいことの危険性を、最初に指摘したのが米国のメディア研究者達だった。「日本の親たちは、あの小さな画面をどうやって覗き込むのか?子供たちが、どんな情報に接しているのか。またあの画面の中で、どんな人間と、とのようなコミニュケーションをしているのか心配にならないか」というのだ。
 メディア・リテラシー(メディアの利用教育)という視点からすれば、彼らの疑問は当然のことである。例えばテレビのメディア・リテラシーという場合、テレビの良い使い方ができる能力を子供にどう教えるかが、欧米社会で問題になった。彼らは、IT時代でも同じ発想で対応する。親達が成長期の子供にとって良くない、あるいは見せたくない番組が放送される時、それを見せない努力をする。さらにはその様な俗悪番組を発信しないようテレビ局に働きかける。
 子供が良くない番組を見ていた場合「こういう番組は君に早すぎるね」と言いながらスイッチを切る。そのテレビの時代のメディア・リテラシーが、米国ではインターネット時代にも生きていて、子供が居間にあるパソコンのディスプレーで卑猥なポルノ画像を見ているような場合「おいおい。そんなポルノ情報を見るためにパソコンが作られたのではないぞ」と言って使い方を変えさせるとか、ネットでの買い物に注意をする。そうしたことが子供のインターネット教育には必要であると考えてきたのだ。
 インターネット時代のそうしたメディア教育が、親も覗き込めない小さな画面を持つ携帯電話時代に通用するだろうか。そういう心配を彼らはしているのだ。翻って、子供たちに携帯電話を買い与える日本の親達に、そのようなメディア教育の視点はあるのか。
信濃毎日新聞2003年4月21日(月曜日)
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