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家出体験記
 学4年の今になって見ると、家出をした理由が正直詳しくは思い出せない。受験だけのための勉強がいやだとか、好きな先生が病気で死んでしまったとか、付き合っていた子にふられたとかそれっぽい理由はいくつかあるのだが、どれもうそっぽい。あの時、冬休みの宿題を一つもやってなかったから、それから逃げたかったというのが有力だとも言える。そんな感じで何かに追いつめられてというより、とっても軽いノリで、僕は高校一年の冬休み、家を出た。
お金は、わずかに残ったお年玉3万円くらい。行き先は決めてなかったが(宛が在ったら旅行だからね)、冬だったから寒いのがイヤで暖かい南の島へ行こうと思った。それ位の動機で西表島に行くことに決めた。幸い、スカイメートなる制度を使うと石垣島まで2万で行ける事が判明したので、羽田からその日の内に旅立った。この辺細かい事が色々あったけど詳しく書くとかなり長いので省略する。
 西表島までは石垣からフェリーで行ったのだけど、どちらの島も1月だってのに、やたらに蒸し暑い。「やけに蒸してるなあ」というのが最初の感想。家からは、厚手のジャケットを着ていったので、余計に暑かった。島では冬でも長袖Tシャツで十分過ごせた。雨がよく降るので夜は少し寒いけど。そういえば、沖縄の人って日本語(群馬弁)通じるのか?テレビなどからイメージする自分の先入観ではかなりの方言で、何を言っているのかも分からないはずだった。しかし、そんな事心配するまでもなく、現地の人は標準語(多少のなまり有り)を使いこなしていた。逆に群馬弁(でさー)を馬鹿にされてむかついたのを覚えている。
 日から交通費でお金をほとんど失い、泊まる場所どうしようかなあと思って、その辺をふらふら歩いていると、この日道路に初めて通った車が突然止まった。「どこ行くの?」と声をかけられ、一瞬地元ヤンキーに絡まれたのかと思った。が、そうではなく僕が傘を振り回していたから、ヒッチハイクと勘違いしたらしい。車に乗っていたのは人の良いおじさん達(2名)だった。見るからに労働者という体つきをした二人は西表島で唯一とも言える産業、サトウキビを運搬する仕事しているという。事情を話すと、すぐに今日から住み込みで働ける場所を紹介してくれた。西表には同じようにふらふらやってくる若者が多いらしく、うまい位に話が進んで本当に助かった。ありがたやー。仕事は、「サトウキビの収穫」という群馬にいたのでは絶対経験する事のできないスペシャルジョブだ。
 運搬業者の方から紹介され、西表にいた間、毎日お世話になった人が二人いる。島にいる間はずっと彼らの所有する小さな家に泊まらせてもらった。二人とも、これまた筋肉むきむきの男で、色が日に焼けて黒く「熊」にしか見えない方がボスの「ニイニイ」、色はさほど黒くなく、優しい感じの方が「なうしニイ」。二人とも、どこの馬の骨とも分からない、自分にとても親切にしてくれた。家出して勉強になった事は、世の中には見ず知らずの若僧にも親身になって接っしてくれる人間がいるのだという事を認識できた所だと思う。二人には本当に感謝している。
その後、約3週間西表であった事をだらだら書くと膨大な量になるので、僕が特に覚えているエピソードをピックアップして紹介する。強烈に思い出に残っているのはニイニイと二人で、イノシシを狩りに行った時の事。狩ると言っても、猟銃とかで殺して生け捕りにするのではなく、山に罠を仕掛けて引っかかるのを待つという地味なものだ。しかも、罠を仕掛けたら、見張るわけでもなくせっせと帰ってしまうので、狩るという表現は適切ではないかも知れない。加えて、これだけなら別に自分が一緒に行かなくても良かったのでは?とも思った。次の日、夕方再び山に行き、罠の場所へ行ってみると何と本当にイノシシが引っかかっていた。とても単純な罠なのに、これに引っかかるイノシシは何と哀れな奴だなあと思いつつ、生まれて初めて生でみるイノシシに感動した。薄汚い茶色のボディ、特徴的な鼻、鋭い目つき、野生動物が人間の手によって殺される場面を初めて目にして、何か考えたが、すぐに忘れた。ただ、殺し方がボディをバーナーで凄い勢いであぶり、焼き殺す(既に死んでいたかな?)という派手なやり方だったで、その場面だけは今でも強烈に頭に残っている。二人で、山から持って帰るのがまた大変だった、イノシシは本当に重い。いつもはなうしニイと運ぶそうだが、パートナーが自分という事も災いして、ほとんどニイニイ一人で担いで帰った感じだった。
 西表ではイノシシを捕ってくるとその人はちょっとした英雄みたいになり、近所の人たちが集まってみんなでそれを調理して食べる。普段あまり表情のないニイニイもかなりうれしそうだった。仕事が終わると、毎日大量の酒を飲んでいるのだが、その日はかなりご機嫌で、やばい位飲んでいたのを覚えている。念のために僕(当時15歳)は飲んでいない。それと、イノシシの肉は、固くてそんなにおいしい物ではない事も分かった。
 もう一つは、仕事の休みの日になうしニイに島を車で案内してもらった時の出来事。「ここが五木ひろしの別荘だ」と紹介され、微妙すぎてどうリアクションしていいか分からず、困惑していた僕に、なうしニイは缶ジュースを買ってくれた。問題はそのジュースの缶である。車で、山道を下って行き、「飲み終わった缶をどうすればいいですか?」と聞くと、「その辺に投げとけばいいよ」との返答。マジかよ、何かこういう島の人って島を神聖な場所として扱っているはずじゃないの?ポイ捨てなんて、本土では自分勝手な馬鹿な奴らしかやらないよ。と、かなり戸惑っている自分を尻目になうしニイは、飲み終えた自分の缶を思いっきり道路に投げ捨てた。そういえば、生活のゴミとかも、可燃不燃関係なく山から崖に捨ててあるのに気付いた。結局自分もその辺に投げたのだが、少し罪悪感を覚えた。帰ってその話をニイニイにすると「この島は、日本で最後の楽園なんだ」と、楽園だから何をしてもいい、俺らでこの島を使い切ってやるぞという印象的なコメントを覚えている。島以外の人間が島を汚すのいけないけど、島の人間が島をどう使おうがいいじゃないのかという理論は疑問も覚えるが、その時は正論にも聞こえた。
 んなこんなで、約3週間。本土では1月末に「ファイナルファンタジーZ」が発売するとの情報を得て、帰る事を決めた。何より、3週間経つと西表島は自分にとっては楽園じゃない気がした。帰りの日、絶対泣かないと強がっていたが、フェリーのチケットを渡してくれたなうしニイが涙ぐんでいるのを見て、ウルルン滞在記ばりに感動してしまった。「答えが見つかったのか?」とニイニイに聞かれ、まだ何も見つけられない甘ったれの自分は「まだです、これから見つけます。本当にありがとうございました」と泣きながら答えた。迂闊にも泣きべそをかいたという、恥ずかしさもあり、十分にお礼も言えずに島を後にした事は、子どもだったなあと思う。情けない。ただ、あの二人には今でも本当に感謝しているし、人生の恩人だと勝手に思っている。
 のまま終わると、家出はすばらしい、みんなも是非みたいな感じになってしまうので、その後の話を少しする。こっちの方はあまり思い出したくない。帰って来ると、高校では結構な騒ぎになっていて(当たり前か)校長を筆頭に諸先生方にきつく叱られた。15にもなって学校に両親を呼ばれ、3人そろって怒られた。これはかなり恥ずかしい経験で、親に申し訳ないなあと思い、二度とこんな事しないと決意した。会議室みたいな場所で、先生が10人位、書記みたいな人までいて、僕が喋った事を全て記録していた。教頭がかなり怖くて欝だった。そんな感じの会議を2,3回繰り返し、後は、校長先生に謝罪文と国語の先生に家出して得たものを書けと言われ、これまたかなりのボリュームの反省文を書かされた。中には、僕がした事を肯定的に見てくれる心広い先生もいたが、口だけだったり、先生自体の地位が低く味方として戦力外で、結局家出後の高校一年の間は色々な意味で肩身の狭い大変な思いをした。丁度、西表に行っていた期間、数学の数列をやっていて未だに数列が苦手なのも後悔している。
 の経験は一般的に言われる家出とは少し異なる特殊な例に当たると思われる。何より家を出る時、父親の方は別に反対しなかった。家出するという事は、それなりのリスクを背負う事で、それによってリスク以上の何かを得るのは難しいかも知れない。まあ、普通に学校に通っていても楽しい事はいっぱいあるはずだから、無駄なリスクを背負ってまで家出する必要はないかと思ったりする。ただ、家出する本人にしてみれば、深刻な問題を抱え、覚悟を決めて決断する。家出をして、大人になるのではなく、まだまだ子どもだなあと実感できればいいのではと体験者は語る。終わり
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